「 旧・玉川 」 トコトコ part-2
普段の散歩で
近くを流れる 「 玉川 」 を渡ることが多い toto...
散歩でこの辺りを散策しているうちに
「 旧・玉川 」 の痕跡が見えてきたので
この川の名残をたどった 河川ウォークの 第2回 デス!
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
まずは、
国道246号線沿いにある公民館に石碑があります。
刻まれた文字は(意訳)、
大正末期の関東大震災で土砂崩があり
玉川の一部が埋まったため、
川は、大雨のたびに氾濫し
ついには、亡くなる者まで出る始末。。。
そこで、地域の衆が集まり
川の整備に取り組むことになった。。。
まずは、
上流域の「恩名」地区の整備をした。。。
しばらく時は流れ
昭和に入り、神奈川縣にも頼り、改修を進めた。
第二次大戦の戦時下に入り、物資も少なく苦労したが
なんとか相模川までの放水路を完成した。。。
と、云うことらしい・・・
地域としては、一大プロジェクトだったと想像できます。
フムフム (・_・
さて、今回は川をさかのぼって
中流域の当初に整備された地域を散策します。
この辺りには、
「 小町緑地 」 があります( toto はじめて来た )
その入り口に 「 旧 玉川 」 の案内石柱が立っています。
( 厚木市内のあちらこちらに、この案内石柱があります )
この石柱には、
旧玉川は、大山の東側が源で農業用水として大きな役割を果たしましたが、関東大震災後は、降雨の度に河床が高くなりたびたび氾濫して、被害が続出した。かっては美田を潤した川が人命を奪う魔の川となったので、昭和十九年に新玉川が造られた。
と、説明文が書かれています。
さて、この 「 小町緑地 」
段丘部を使って公園として整備されているようです。
そして、左手へ登っていくと
「 小町神社 」 っていう神社があるようです。
実は、この辺りの 地名は 「 小野 」 で
「 小町 」 ということは???
そうです。
地元には、かの有名な 平安の 超絶美女で歌人の
小野小町( おのの こまち )伝説 が残っているんですね。
小野妹子じゃないですよ~(笑)
では、神社まで登ってみましょう
一気に急な階段になっています。
けっこう、キツイ(笑)
坂の途中に鳥居があり・・・
丘を登りきった頂上付近に
ありました 「 小野神社 」のお社
コチラの看板には神社の謂れが書いてあり ( 意訳 )
鎌倉幕府の 将軍・源頼朝 が、鬼嫁の 北条政子さんに内緒で
別嬪さんの 丹後の局 と子作りしちゃいました(デキちゃった💦)。
すると即! 、鬼嫁の政子さん の逆鱗に触れてしまい、、、
家来に「キィー!殺っておしまい!」って命令した、とさ。
でも、命令された家来は「そりゃねーよなぁ、美人だし テヘッ 」
ってことで、知り合に匿ってもらい、命を救ったそうな・・・。
でも、地獄耳の 政子さん はそれを聞きつけて
さらに、😠 超・激怒💥、激おこ・プンプン💢💢💢👹
丹後ちゃん は、「 ひえぇー💦💦💦、☠☠☠ 」って
一瞬で髪の毛が真っ白になってしまいました。
で、一生懸命に祀られている小町姫様にお祈りしたところ、
黒髪に戻って、元気な赤ちゃんを産みましたとさ。
その子は、後に薩摩・島津家の祖先となったとさ。。。
つまり、政子ちゃん、怖っ! って
話ですね・・・( ちゃうわいぃ! )
じゃあ、頼朝って無責任~ってことで・・・(笑)
境内には、
小町塚 や
片葉松 の跡 などがあります。
神社にお参りしてから
階段を下っていくと、目の前の丘には
NISSAN の 研究所が広がっていました。
( 広大な敷地ですねぇ~ )
また、こんな看板も(笑)
そして、緑地の入口まで戻ると
小町の化粧池 っていう泉までありました。
さあ、今日はココまでで
帰りましょう 👟 👟 👟
散策の途中には
春の草花が咲き誇っていました。
などなど、、、
また、のんびりウォークを楽しみつつ
紹介したいと思います。
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